レクリエ 201778月号

卓球に特化した機能訓練を行うデイ

卓球を楽しむことで、意欲と身体機能を高める

 

2015年に開設された「ピンポンデイハッピー渋谷」では、

卓球に特化した機能訓練を行っています。

フロアには卓球台が常設され、利用者が自発的に卓球を楽しむことで、

身体機能の向上を図っています。

利用者の様子や卓球の効果を取材しました。

 

「卓球療法士」が常駐し、機能訓練を行う卓球に特化したデイサービス

 

ポン、ポン、ポン、バシッ……!

「おー、いいショットですね。打つ時のバランスも良いですよ!」

午前中、デイサービス「ピンポンデイハッピー渋谷」(以下「ハッピー渋谷」)のフロアでは、卓球の弾む音と顧問の長渕晃二さん(NPO法人日本卓球療法協会理事長で卓球療法士)の声が響きます。ラリーの相手は95歳の男性利用者。長渕さんの「では、もう一度う打ってみましょう!」という呼びかけで、さらに数十回、見事な腕前で打ち合いが続きました。

 

 このように、午前と午後にわたり、卓球に特化した機能訓練が行われています。11のラリーの他に、マシンを使った自主練習、チームプレーで楽しむ「卓球バレー」(後述)など、様々な方法で取り組んでいます。

 代表の石井直樹さんは、「ピンポンデイ」を立ち上げた理由を次のように語ります。

「2012年に初めてデイサービスを開設した際、体操やダンス、風船を使ったレクリエーションでは、利用者の反応が芳しくありませんでした。そんな時、卓球をしてみたらかなり好評だったので、思い切って2号店のテーマを卓球に絞ってみたんです」

「ハッピー渋谷」では、長渕さんをはじめ、石井さんや職員の多くが「卓球療法士」の資格を取り、利用者に接しています。利用者が安全に卓球をプレーできるよう、まず体のバランスや足腰の安定感を調べ、どのような打ち方をすべきか(卓球台に手を添えたままにするかなど)方針を決めてから、プレーをスタートさせているのです。足腰が弱まっている場合や無理にボールを追いかけてしまうと転倒の危険もあるので、サポート役の介護職員が後ろにつくこともあります。

 

楽しさとリハビリ効果が両立する卓球の魅力

 

 卓球を機能訓練に取り入れる効果とはどのようなものなのでしょうか。長渕さんは「まずは誰でもできて誰もが楽しめること」と説明します。その上で、「集中してしてプレーをすることで、喜んだり悔しい気持ちになったりして、イキイキとした感情が芽生える点もメリット。さらには、手先や指の運動機能や握力、動体視力、反射神経を鍛えることもできます」と話します。

 その言葉通り、取材当日、長渕さんとある利用者のラリーで卓球の効果の一端が見られました。

 始める前は卓球台に寄りかかりフラついていた利用者の姿勢が、テンポよくラリーを続けることで、徐々に自立し安定してきたのです。「打っている間に、みなさん、体幹が定まり、体の置きどころが掴めてくるんです」と石井さんは説明します。

 実際、「ハッピー渋谷」では、利用者の身体機能が回復する例も多くあるそうです。ある60代の男性利用者は、週2回、約3ケ月の卓球で、「要介護2」から「要支援2」に介護度が改善したといいます。今では、デイサービスの利用対象からは外れ、ボランティアとして施設を手伝うまでになりました。「最初はラケットをしっかり持つこともできず、バンドで手に固定していました。しかし、そのうちきちんと握れるようになり、ラリーを続けるうちに足腰が安定して杖の必要もなくなったんです」と男性は微笑みます。

 他にも、生まれつき右半身に拘縮が見られる80代の女性利用者が、練習を重ねたことで、左手でトスを上げ、そのまま左手でサーブを打てるようになった例も。現在、地区大会の障害者部門で上位の成績をあげているそうです。

 卓球を取り入れる上で石井さんが一番留意している点は「利用者のやりたいと思う気持ちを大切にすること」。利用者が自分から卓球をやってみたいと思わないと意味がないと話します。

「卓球に重きを置いてはいますが、こちらから無理には勧めません。やって頂く場合も、ゲームとして得点を数えたり、ラリーの回数の記録更新をもちかけたりして、楽しんでもらうことを第一に考えています」と石井さん。

 今では、卓球デイという特性は地域に周知され、口コミをきっかけとして卓球目当てに通う利用者が増えているそうです。

 また、男性利用者が特に多いのも「ハッピー渋谷」の特色です。

「卓球は高齢者でも男女を問わず、一度はやったことのあるスポーツです。体操やダンスはやりたくないという男性でも卓球には乗り気です。また、経験者じゃなくても始められるメリットもあります」と石井さんは説明します。

 

いろいろなバリエーションで卓球を楽しむ

 

 午後になると、卓球マシーンを使った自主練習が始まりました。

「次は僕の番でいいですか」「私もやりたい」など、利用者は次々と声を上げ、マシーンの前へ。マシーンでは、ボールの速さや打ち出される間隔、コースなどが調整でき、相手コートに的を置いてねらい通りのところに打つなど、本格的な練習が可能。また、苦手なコースを集中的に鍛えることもできるといいます。

 利用者が全員参加して得点を争う「卓球バレー」も盛り上がりました。

 まず、低くした卓球台に利用者が4名づつネットを挟んで座ります。そして、転がる時に音の出るボールを使い、バレーボールのように打ち込んで勝敗を決めるのです。立つことが出来ない方でも参加できるのが魅力的なゲームです。

 利用者はボールの動きを目で追い、とっさに反応して打ち返します。チームプレーも要求されます。ねらい通りにボールが入ると、「わぁー!」と上がる喜びの声。「いまの良いプレーだったよ!」「ナイススマッシュ!」など、様々な歓声が上がり、スタッフも応援や拍手をし、一緒に楽しんでいるのが印象的でした。

 

1日のプログラムは特につくらない「十人十色の過ごし方」をサポート

 

「利用者のやりたいことや意欲を大切に」という石井さんの信条は、卓球以外の部分でもいかされます。

 そのひとつが、選択制となっている飲食メニューです。利用者はお茶の時間には、コーヒーやカプチーノ、しょうが茶などを、メニュー表から選ぶことができます。また、昼食の際も、日替わりランチやカレー、うどんなど、数種類からの選択が可能。

「デイサービスといえど、お出かけ気分でリラックスできる空間にしたかったんです。そのため、カフェのような選べるメニューを採用しました」(石井さん)

 また、「ハッピー渋谷」の特色は、デイサービス全体としての「一日のタイムスケジュール」を設けてない点にもあります。この施設では、卓球を含め、利用者はしたい時にしたいことをするのが慣例となっているのです。ですから、入浴も本人の意思を尊重し、入らないのも自由。入りたい時には職員に告げ、マンツーマンで入るスタイルをとっています。取材当日も利用者は、卓球をしていない時はそれぞれ思い思いのスタイルで、読書やテレビ鑑賞、パズルなどをしていました。

「デイサービスにも、十人十色の過ごし方があっていいと思います。卓球以外でも、『カラオケがしたい』『大工仕事が得意』など、利用者のしたいことを引き出すように関わっていくのが私たちの仕事です」

 

地域の交流拠点のような存在に

 

 現在、2施設を経営する「介護のハッピー合同会社」ですが、石井さんはその役割をまちづくりにもいかしていきたいと考えています。そういう思いから「人が集まるしかけ」をいくつも実践しています。

「ハッピー渋谷」では、大きな窓から室内がわかるようにして開放的な雰囲気を演出。敷地内には、ポストや自動販売機、自治会の掲示板など、公共の設備も設置しています。また、卓球ボランティアをはじめ、手芸や演劇、切り絵、演奏会など、多数のボランティアを受け入れることで地域住民との結びつきを強めています。さらには、介護など福祉のことを学び合う「共創カフェ」や「オレンジカフェ(認知症カフェ)」も開催。地域団体が開く「認知症サポーター講座」などにも施設を貸し出し、地域住民向けに夜間に「卓球クラブ」を開くなど、地域交流の場としても施設を開放しています。

「職員が好奇心旺盛にハッピーに働いていると、様々な機会や出会いが生まれ、いろいろな活動につながっていきます。それに応じて、施設の意味合いも思ってもみなかった方向に広がり、またそれを楽しんでもいます。これからも、卓球を使ったデイサービスの可能性を発信し続け、この地域を大切にして事業を進めていきたいです。当面の目標は、利用者数をもっと増やしていくこと。そして、卓球を使った機能訓練を広めたいと考えています」

 

 

(雑誌掲載当時の原文ままです)